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嫌々爺日記

日頃の愚痴か、エンタメ作品の感想か……

芸術は爆発だ!

小学生の頃だったと記憶している。遠足で、万博記念公園を訪れた。空一面に雨雲が広がり、小雨が降りしきる中、僕らはパビリオン記念碑巡りをしていた。記念碑の下に設置されたステンレス製のスクラッチプレートを、専用のノートに鉛筆で転写していくのだ。

「これ、何がおもろいねん」

そう思いながらも、生徒全員に課せられた義務であるため逆らえず、あまり好きではない子が班長を務める班に配属されるという不運を恨みつつ、それでも僕は頑張って記念碑を巡っていた。

「三時や!」

突然、班長の女の子が腕時計を見つめて叫んだ。三時までに記念碑巡りを終え、元の場所へ集合するよう言われていたのだが、いつの間にか三時を過ぎていたのである。

「もう! どうすんのっ!」

班長が叫ぶ。彼女は、「三時になる前に言ってって言ったやん!」と怒り、班員も班員で、「〇〇ちゃんだって気ィ付かへんかったやんか!」と口々に言い返していた。だが班長の剣幕には逆らえず、まるで班長以外の全員が悪いかのような空気がその場に流れ始めた。

「こういうところが苦手やねんなあ、この子…….」という目で僕は班長を見つめ、そもそも僕はもうすぐ三時になることを分かっていたので、「こんな空気になるなら言えばよかったなあ、他の班員に申し訳ないなあ」などと反省したりしていた。

しかし、僕らの班(というか恐らく全ての班)には先生がそれとなく付いてきており、その先生は別に僕らを急かしたりはしていないので、三時に集合というのは大体の目安であり、絶対厳守ではないのだろうからそんなに慌てたり怒ったりするようなことでもないだろう、とも思ったのだが、そんなことを言い出せるような和やかな雰囲気ではもはやなく、遠足とは思えないほど殺伐とした空気がその場を支配していた。

やっぱ遠足なんて休めばよかったなあ、という僕の後悔を加速させるかのように雨は少しずつ強さを増していき、班長は「走って!」と怒鳴り、ついには先生までもが「雨強なってきたからちょっと急いで!」と僕らに近付いて促してきた。僕は「いや、その前にこのイヤな雰囲気どうにかしてえな、先生……」と思いつつも、走り始めたのであった。

 

林の中を走る、走る、走る、走る。雨、雨、怒声、雨、雨、雨、怒声。木、木、木、雨、木、怒声、足音。足音、足音、足音、木、雨、怒声、木、雨。雨、怒声、木、木、雨、木、雨、木、足音、雨。

 

密林でベトコンから逃げ惑う米兵のような気持ちになりながらも走り続け、やがて僕らは長い林道を抜けた。

 

その瞬間、僕の目に飛び込んできたのは、天高く聳え立つ太陽の塔であった。墨を含んだような雨雲が空を覆い、本物の太陽は微塵も顔を出していないにもかかわらず、太陽の塔は確かに燦々たる輝きを放っていた。

僕は知らぬ間に足を止め、ただただ茫然と、太陽の塔を見つめていた。

 

太陽の塔は途轍もなく巨大で、想像を絶する格好良さだった。

 

やがて、太陽の塔を見続けるうちに僕の体の奥底では何やら強烈なエネルギーが渦を巻き始めた。そして一瞬後、それは爆発した。

 

芸術は爆発だ!」

 

岡本太郎の残したこの名言は今もあちこちで使われているが、しかしどうもまともに解釈されていないように思われる。

多くの人が、「芸術は爆発だ」の爆発を、文字通りの、すなわち、「圧力の急激な発生もしくは解放の結果、熱・光・音などおよび破壊作用を伴う現象(広辞苑第六版引用)」という意味だと思っているのではなかろうか。

仮にそうだとすると、「芸術は爆発だ」という言葉は「芸術とは爆発現象のことだ」という意味になってしまう。岡本太郎は絵画や彫刻を作品として残しているのだから、爆発現象ではない絵画や彫刻だって芸術と見なしていた筈だ。よって、「爆発現象⇒芸術」はあり得ても、「芸術⇒爆発現象」はあり得ないということになる。

 

つまり、「芸術は爆発だ」の言葉が意味する爆発とは、爆発現象のことではないのである。

 

人が何かに出会い、心を震わし、その震えが頂点に達した瞬間の、その一瞬の心の煌めきこそが、爆発なのである。

 

あのとき、あの場に存在していたのは、僕と太陽の塔だけである。芸術とは、そういうものなのだ。モノと人間の一瞬の触れ合いを切り取った断面の模様が、芸術なのである。

 

つまり、芸術とは普遍的価値ではなく、芸術性を秘めたモノに対する、受け手の極めて主観的な感動を指すのだ。だから、「この映画は芸術だ」という表現は、厳密には間違いだ。芸術は、感動が頂点に達した瞬間の、映画のワンシーン、ワンカットに顕在するものだからである。

 

曇天模様の空の下、太陽の塔を目にして、僕の心は弾け飛んだ。その瞬間の心の変化の波動こそが爆発であり、その爆風を受けて、太陽の塔は「太陽の塔」という客観的な作品から、僕にとっての芸術へと昇華したのである。

 

……と、まあ気取ったことを拙い文章力で偉そうに書いた訳であるが、これは全て僕の独自解釈であり、「芸術は爆発だ! やっぱ、爆発は綺麗だからね。花火とか工事の発破とか最高だよね。ドーンッ!つってさ」という岡本太郎のインタビュー記事がもし存在した場合、すなわち、天才肌の芸術家・岡本太郎がノリで言った言葉がたまたま名言として語り継がれたに過ぎないのに、僕はそれを無意味に深読みし悦に入っていたマヌケ野郎だったと判明した場合、僕はもうただただ赤面し、顔を覆うばかりであります。