嫌々爺日記

日頃の愚痴か、エンタメ作品の感想か……

勿体無い・『眠らない街 新宿鮫』

高校二年生のときのことだ。フィリップ・マーロウシリーズを読んでみようと思い立ち、誕生日祝いに貰った五千円を軍資金に、僕は書店へと向かった。だがその本屋さんには『長いお別れ』だけしか置いておらず、シリーズ一作目に当たる『大いなる眠り』がなかったのである。

ああ残念、と諦めて帰る……などということは、--本好き、本屋好きの方ならば分かってくださると思うが--不可能なのである。本を買おう、というこの上なく幸福で強烈な欲求が一度芽生えてしまえば、それはブレーキの壊れた自転車で坂道を下るようなものであり、止めることなど出来ない。

そこで、その欲求を鎮めるため代わりに購入したのが、『新宿鮫』である。まさに、運命の出逢いであった。

この『新宿鮫』の、なんと面白かったことか! 面白さのあまり小説を1日で読んでしまうという贅沢な体験をしたのは、これが初めてであった。

『長いお別れ』の代替品として選んだ『新宿鮫』だったが、主人公・鮫島警部は、フィリップ・マーロウと肩を並べるほど格好いいヒーローである。フィリップ・マーロウシリーズ、新宿鮫シリーズを共に読破した今、そう断言できる。
そんな傑作小説の映画化である。

 

キャリア警察官だったが、とある事情で新宿署へと左遷された男、鮫島。警察内部で孤立しながらも鮫島は単独で次々と被疑者を上げていき、いつしか新宿署内で検挙率トップを誇るまでになる。
音もなく犯罪者に忍び寄り、食らいつけば離さない。そんな鮫島を、新宿に巣食うヤクザ達は畏れと憎悪を込めてこう呼んだ。ーー新宿鮫

そんな新宿署管内で、警察官を狙った射殺事件が発生する。大規模な捜査が行われる中、鮫島は一人、別の道から捜査を進めていた……。

 

結論を先に述べれば、この映画はかなり面白かった。

小説を映画化すると、「詰め込み過ぎ/省略し過ぎ」たせいでつまらなくなることが多々あるが、今作は全く問題がない。基本的には小説に沿いつつ、映画として時間内に完結するように一部手を加えているのだが、その改変が上手いのだ。

原作では現在進行形の事件捜査を主として、時折、主人公・鮫島警部にまつわる回想シーンを挿入しているのだが、映画ではその回想の大半を現在進行形の出来事へと変更し、物語と絡めているのだ。この大胆な時系列変更が、原作ファンにもなんら違和感を覚えさせない巧みさなのである。

加えて役者陣もいい。鮫島を演じる真田広之は、原作ファンからすれば若干タッパが足りないが、鮫島の持つ色気や己の信念に従う芯の強さを存分に感じさせる。闇金ウシジマくんを演じた山田孝之もそうだが、原作よりガタイが多少劣っていても、それを補って余りある存在感があれば充分なのだ。それに流石は真田広之、アクションシーンは言わずもがなの見事さである。

ロックバンドの女ヴォーカル・青木晶を演じる田中美奈子は、平野ノラがネタにするようにバブリーで、尖った可愛さがある。

家族の死を機に仕事への情熱を失い、陰で「マンジュウ(死体の隠語)」と揶揄される桃井警部。鮫島の唯一の理解者・鑑識の藪。剣呑たる雰囲気を醸し出すヤクザ・真壁……。

どの役者も良いが、中でも事件に関わる改造拳銃技師・木津を演じた奥田瑛二は出色である。木津は同性愛者であり、過去に鮫島に逮捕された因縁から、鮫島を二つの意味で狙っている。

そして現に、作中で鮫島を捕らえ、嬲り殺しにしながら男の味を教えようとするシーンがあるのだが、このシーンが矢鱈とエロい。真田広之奥田瑛二という、男臭い二人のディープキスが、強烈なエロスを放っているのだ。

役者も脚本もいい、よく出来た映画だった。いい映画であった。いい映画であったのだ。だからこそ、一つ、どうしても、勿体無い……と感じざるを得ないことがある。

小説にはあった鮫島のとある台詞が、映画にはなかったのである。その台詞は、小説では最後の一文に当たる。別に『新宿鮫』は叙述ミステリではないため、その台詞で物語構造がガラリと変わるという訳ではないが、その一言は、物語に途轍もない深みを与えるものである。何故、この台詞を削ったのか。五秒とかからない台詞である。それを、何故あえて削ったのか。

映画のラストは小説とほんの少しだけ違う。小説はスッキリ、スカッと終わるが、映画は、「今回の事件は解決したが、まだこれからも新宿では何かが起こるだろう」という、不穏な気配を残して終わるのだ。

その改変自体は別に構わない。映画版の副題である「眠らない街」にも合致するし、物語に支障もない。ただ、だとしても、鮫島にあの台詞は言わせるべきだった。あの台詞があれば、映画も一段と余韻がある作品になったであろう。

いやはや、勿体無い……。作品全体の質が高かったゆえに、尚更勿体無い。

しかし、尤もこれは、映画単体として観たときに感じる不満点ではない。小説『新宿鮫』のファンという視点から感じる勿体無さである。つまり、映画『眠らない街 新宿鮫』として観たときには、何ら破綻していない訳である。だから、僕の「勿体無い……」という言い分はある意味、反則、禁じ手の類と言える。繰り返すが、一映画としては面白かったのである。

本作に興味が湧いた方は是非、映画『眠らない街 新宿鮫』をご覧ください。そしてその後、小説『新宿鮫』シリーズも読んでみてください。文庫で既刊11冊、一万円弱かかりますが、それだけの金と時間を費やす価値は充分にある傑作であります。