読者です 読者をやめる 読者になる 読者になる

嫌々爺日記

日頃の愚痴か、エンタメ作品の感想か……

真実とはなんぞや

あなたは騒音おばさんを覚えておられるだろうか? 大音量で音楽をかけ、布団叩きで干している布団をリズミカルに奏でながら、「引越ーしぃっ!引越ーしぃっ! さっさと引越ーしぃっ! シバくぞっ!」という罵声を近隣住民に浴びせ続け、睡眠障害を負わせたとして、傷害罪で逮捕された女性である。懲役は1年8ヶ月。騒音おばさんの叫ぶ映像は、言っちゃあ悪いが面白く、そのせいでバラエティ番組は彼女をオモチャにした。

 

さて、騒音おばさんを当時は世間の誰もが「ヤバイ人」と思ったが、実はこの事件には闇に葬られた真実が存在する、という説が、いつからかネット上で流布されるようになった。ネットで広まっている騒音おばさんの真実」とは、次のようなものである。

 

騒音おばさんは若い頃、障害者であることを知らされずに、ある男性と見合い結婚をさせられた。その障害は遺伝性であり、子供が三人生まれたが、三人ともその障害を負っていた。娘二人は亡くなり、夫も入院したため、騒音おばさんは息子と二人暮らしをしていた。

そんなある日、1組の老夫婦が隣に引っ越してくる。この夫婦こそ、のちに騒音おばさんを訴えた「被害者」である。彼らは創価学会の熱心な信者であり、騒音おばさんにも創価学会入信を勧めた。だが騒音おばさんがそれを断ったため、老夫婦は報復として壮絶な嫌がらせを始めた。騒音おばさんは、嫌がらせへの対抗手段として「引越ーしぃっ!」を始めたのだ。

だが創価学会に支配された警察とマスゴミは老夫婦の非を揉み消し、騒音おばさんを異常者へと仕立てあげたのであった。騒音おばさんは、ハンデを抱えながらも創価学会に一人毅然として立ち向かった、英雄なのである。

 

いやあ、怖いですねえ……。何が怖いって、これを紛れもない真実だと信じて疑わない人が大勢いるという事実が、である。

いくら検索しても、「騒音おばさんの真実」の信頼出来るソースは、見当たらない。誰が書いたか分からない2chの書き込み、それを取り上げた個人ブログ、まとめサイトばかりである。老夫婦が創価学会の信者であったことを示すソースすら、見当たらない。本当に、「騒音おばさんの真実」が事実であるという証拠は、全くないのである。火のないところに煙は立たない、などと得意げに言う人もいるが、世の中には、火のないところに発煙筒を設置していく輩が大勢いるのだ。

 

しかし、何故この根拠薄弱な真実(デマとは言わないでおこう)が、確固たる事実としてネット上で広まっているのか。答えは簡単である。「みんながそう信じているから」だ。この「みんな」は、ネット上のみんなのことである。情報操作されたテレビなどには騙されない、ネット上の情報強者のみんな。創価学会などという憎むべきカルト教団には負けない、正義の心を持ったみんな。

テレビは情報操作されているから信じては駄目だと声高に叫びながら、ネットの誰が書いたとも知れない書き込みを鵜呑みにする。「創価学会は悪い。創価学会が悪い。マスコミはマスゴミだ。騒音おばさんは被害者なんだ。隠蔽された。闇に葬られた。みんなそう言っている。創価学会はカルトだ。許してはならない。テレビも警察もクソだ。騒音おばさんは被害者だ」

この「みんな」 の方こそ、よっぽどカルトだと思うのは、僕だけであろうか。

 

騒音おばさんの真実」を信じている人は、二種類に分けられる。一種類目は、騒音おばさんの真実」が本当に事実に見える人である。彼らのブログの「騒音おばさんの真実」以外の記事を読むと、「集団ストーカーの被害を受けている」「電磁波攻撃を受けている」を始め、多種多様な陰謀論で埋め尽くされている。言ってしまえば彼らは、何らかの精神病を患っているのではないかと推察される人である。この人達が「騒音おばさんの真実」を信じるのは、ある意味仕方がない。彼らは、丸いものが三角に見えてしまっているのだから。

僕が少し腹立たしく思うのは、二種類目の人である。丸いものを丸いと見える視力を持っているにもかかわらず、みんなが三角だと言っているからという理由で、その図形を見ずに三角だと断じる人である。誰が作ったかも分からず、ソースも提示していない「騒音おばさんの真実」動画を見て、「今まで騒音おばさんはおかしな人だと思っていましたが、この動画を見て真実を知りました。騒音おばさんを馬鹿にしていた自分が恥ずかしいです。やっぱ警察とマスゴミは最低ですね! 創価学会も許せません」と平気でコメントしてしまう人である。根拠の無い陰謀論でも、「マスゴミ」「電通」「創価学会」など、批判して楽しそうな玩具が並んであれば、そしてみんながその論を支持していれば、その話をすっかり信じてしまう人だ。

 

名探偵コナン」は好きだが、コナン君の決めセリフである「真実はいつも一つ」には賛同出来ない。

大勢の人間の曖昧な記憶や憶測、果ては嘘までをも孕んだ、虚実入り混じった流動体。その巨大な塊を、個人が各々、自分の用意したコップで掬い取る。そのコップの中に入っているものが、真実と呼ばれるものなのだ。

事実は一つだが、真実は一つではない