嫌々爺日記

日頃の愚痴か、エンタメ作品の感想か……

雑記:小さなモヤモヤ

僕は小さなモヤモヤを大量に抱えて生きている。別に怒るほどでも、誰かに言うほどでもない、小さなモヤモヤである。ザッと列挙していきたい。

 

1.酢豚に入っているパイナップル、に矢鱈とキレる人。何がそんなに気に食わないのだろう。

確かに、よく言われる「酢豚にパイナップルを入れるのは、肉を柔らかくするため」というのは嘘だ。パイナップルにはブロメリンという消化酵素があり、肉を柔らかくする作用があるが、ブロメリンは熱に弱く、加熱すればその効果は失われる。つまり、パイナップルを一緒に炒めて酢豚を作っても、肉は柔らかくならない(パイナップル果汁に漬けた肉で酢豚を作れば、柔らかい酢豚が出来るだろうが)。

しかし、別にいいではないか。シュウマイの上のグリーンピースやポテトサラダの中のリンゴなど、「コレいらんやろ」と思うものはよくある。が、これらにキレている人は、それほどいない。それにそもそも、酢豚の中のパイナップルが嫌いならば、残せばいいだけの話である。

青筋を立てて「酢豚のパイナップル許されへんっ!」と声を荒げる芸人のトークや、「俺には、絶対に許せないものが三つある。一つ目は酢豚に入っているパイナップル。二つ目は時間にルーズな奴。そして三つ目は、仲間を傷つける奴だっ!」みたいなフィクション作品のワンシーンを見る度に、酢豚のパイナップルが何故これほど彼らの憎悪を駆り立てるのだろうかと、僕は疑問を抱く。

これは根拠の無い妄想だが、もしかすると彼らは、「酢豚に入っているパイナップルを批判するのはセンスがある」と思っているのかもしれない。もしそうなら、僕は酢豚のパイナップルを批判している人に、「それって、結構みんな言ってますよ」と伝えたい。

 

 

2.時折いる、「エセ眼鏡っ娘好き/エセ貧乳好き」

眼鏡っ娘好きなんです。眼鏡を掛けてるときと外したときで全然違う雰囲気になるのが好きなんです」とか、「貧乳の女性が好きなんです。貧乳を恥ずかしがったり照れたりしてるのが可愛いんです」とかいう人に言いたいのだが、それはただの「ギャップ萌え」だ。

「お風呂に入るときと寝るとき以外は眼鏡をかけていてください」と願うのが、真の眼鏡っ娘好きというものだ。同様に、「女性が貧乳にコンプレックスを抱いていようが、気にしてなかろうが、何ならチャームポイントとして捉えていようが、とにかく貧乳であるというだけで尊い」と考えるのが、真の貧乳好きなのだ。

 

 

3.いくつになっても「女子会」でいいではないか。

「女子会って、30、40過ぎ女の何処が女子だよ」と言う男性がいるが、別にいいではないか。「アタシらは女子なの。女子扱いして! 子供扱いして! 仕事もしないし家事もしないわ。誰か養って!」などと言っているわけでは勿論なく、服装や言動を女子高生みたいにしている訳でもない。しっかりと働いたり、キチンと家事をこなしたりしている大人の女性が、友達と食事をし、溜まったストレスを発散できる楽しい時間が、「女子会」なのだ。束の間、女性が女子に戻って楽しむことに、一体何の文句があると言うのだ。

「今日は学生時代の友達と女子会でーす」というのは、「今日くらい、女子みたいにはしゃいじゃおう!」という女性の可愛らしい宣言に過ぎず、自分たちを女子と思え、と他者に強要している訳ではない。「女子会」という名称に、僕は何の問題もないと思う。

あと完全に偏見だが、こういうことを言う男性に限って、「日本男児たるもの」と言いそうである。

 

 

4.外国人横綱は侵略者か?

 稀勢の里が19年ぶりの日本出身の日本人横綱になり、話題になった(他国出身の日本人としては、アメリカ出身で日本に帰化した武蔵丸が14年前に横綱になっている)。

素晴らしいことではあるが、一つ気にかかるのが、「ようやく横綱の地位を日本人の手に取り戻した!」 という意見が散見されることである。悪意はないのだろうが、まるで横綱の地位を外国人が不当に奪っていたかのようなこの発言は、外国人横綱や、横綱を目指す外国人力士に失礼であろう。

本当に日頃から相撲に親しみ、相撲を愛している真の好角家ならば、横綱の地位を守り相撲を盛り上げ続けてくれた外国人横綱に対して、敬意を持っているだろう。

この「横綱は日本人であるべき」論を唱えている人は、本当に相撲が好きなのだろうか? モヤモヤする。

 

 

5.アンチに対する「じゃあお前がやってみろ」 というファンの言葉。

ネットの波で泳いでいると、しばしば「この小説買ったがつまらなかった」「この映画ホントゴミ」「薄っぺらい音楽。CD代金返せ」というような文章を見かけ、「自分が作者なら辛いなあ」と思うのだが、かといってそれらの批判コメントに対するファンの反論にも納得がいかない。「じゃあお前がやってみろ」「お前はこれより凄い映画作れるのか?」「出来もしないのなら偉そうなこと言うな」というコメントだ。

恐らく、自分の大好きなクリエイターを批判されたことが悔しく、その人を守ろうとして言っているのだろうが、この発言はむしろプロのクリエイターへの侮辱である。プロはプロとして、我々素人では出来ないことをやろうとしているのだ。その分野において、自分は素人とは格が違うと思いながら、作品を作っているのだ。

 

たとえばあなたが大工だとしよう。依頼通りの家を建てたと思ったら、依頼人の男性が不満そうに言った。

「ちょっと思ってたのと違うなあ……。もう少しかっこいい感じかと思ってた」

男性の妻が宥める。

「そういうことを言わないの。あなたの日曜大工よりはよっぽど上手でしょ? 自分で家建てられるようになってから、文句言いなさい」

 

どうだろう? 男性の妻にもちょっと腹が立たないだろうか? 「日曜大工より上手いのは当たり前なんですよ……。私はプロなんだから……」と思わないだろうか。

「お前がやってみろ」というファンの言葉はプロへの侮辱であり、言うべきではない。もし自分でそんなことを口にするクリエイターがいるならば、向いていないから辞めた方がいい。

まあ、そういうこと言うクリエイター、結構いるけどね。

 

 

6.村上春樹ノーベル文学賞

ノーベル文学賞の発表が近付くと、カフェに集い村上春樹の受賞を祈るハルキスト達の映像がニュースで流れる。もうそのうち「ハルキスト」は初冬の季語になるかもしれない。しかし彼ら、本当に村上春樹(作品)を愛しているのだろうか。

当の村上春樹本人は、毎年毎年「村上春樹ノーベル文学賞受賞なるか!?」と報道されることに対して、「わりに迷惑」「正式な候補ではなく、ブックメーカーが予想しているだけ。競馬のオッズじゃあるまいし」といった趣旨の発言をしている。ならば、マスコミが取り上げるのは防げなくとも、せめてハルキスト達だけでも静かにしておくのが、村上春樹のためであろう。

僕はずっとそう思っていたのだが、この前ネットでニュースに映るハルキストのコメントを見て驚いた。曰く、「春樹さんが迷惑がっているのは知っていますが、やはりみんなで集まって受賞を祈りたいんです」

なーんだ。ということはアレである。彼らは一見大人しいが、その本質は、サッカー日本代表の勝利祝いを口実に渋谷で暴れちゃう人々と、同じなのである。

 

 

7.小洒落たバーと安酒と。

「ダーツの出来るお洒落なバーなんて俺みたいな奴は合わねえよ。しゃらくせえ。俺みたいな奴はさ、居酒屋で安酒を呷ってる方が性に合ってるぜ」

という人は結構いるだろう。ただ、これをやたらと強調する人が、僕は苦手だ。「シャレオツなものには馴染めない泥臭い俺」に酔っている感があるのだ。

ラーメンズを批判し、伊集院光愛する人村上春樹を批判し、太宰治愛する人

こういう人の中に時折、「お洒落なものを受け入れないお洒落さ」の演出を感じ取ることがある。

 

 

8.草食系男子、肉食系女子の定義。

 恋愛に消極的な男、草食系男子。恋愛に積極的な女、肉食系女子

いや、意味が分からない。誰が考えたのか知らないが、定義がおかしいだろう。草食系動物は、草を好んで食べる動物だ。本当は肉を食べたいが、積極性がないために競争に勝てず、止むを得ず草を食べているという訳ではない。草食(肉食)動物が草食(肉食)なのは単なる生態であり、積極性は関係ないのである。

本当なら、「物静かな女/男」を好きな人を「草食系男子/女子」と定義し、「明るい女/男」を好きな人を「肉食系男子/女子」と定義するべきである。まあ、草食系男子だの肉食系女子だのという言葉を使うことはないので、どうでもいいのだが。

 

 

9.セクシャルマイノリティを第一のアイデンティティとするオネエタレント。

僕は、他人がどんな性的嗜好を持っていようと、その嗜好によって被害を受ける人がいないのであれば、一切構わない。たとえどんな変態行為をしていようが、それが誰にも実害を与えていないならば、僕には関係ないのでどうでもいい。世の中には、ロリコンは存在そのものが悪だという意見もあるが、その欲求を死ぬまで内に秘め続けているならば、僕は構わないと思っている。

従って、LGBTへの偏見などある筈もない。男が男を好きになるのも、女が女を好きになるのも、自分の肉体的性に違和感を覚えるのも、何らおかしなことではない。

そう思う僕は、テレビでセクシャルマイノリティであることを一番の売りにしているオネエタレントを見ると、不思議に思う。たとえばマツコ・デラックスは、テレビ出演のキッカケは「オネエ」だったとしても、未だにテレビに出まくっているのは、マツコという人そのものが面白いからである。

だが、そこそこテレビで見かけるオネエタレントの中には、セクシャルマイノリティであることを除けば、テレビに出演できるほど特徴のない人が結構いる。自分がセクシャルマイノリティであることを、タレントとしての唯一のアイデンティティとしている人だ。しかもこういうタレントの中には、「ステレオタイプなセクシャルマイノリティ像」を受け入れ、演じている人もいる。

僕はそういうタレントを見るたび、それでいいのか? とモヤモヤしてしまう。

 

 

10.何かを褒めるとき、何かを貶さねば気が済まない、という病。

「山本さんとこのお子さんは、自分から家事の手伝いしてくれるんでしょ? 偉いわあ。それに比べてウチの子は、家でゲームばっかり……」

母親のこういう発言は、ムカつくが理解出来る。この場合母親は、山本さんとこのお子さんを褒めることではなく、ウチの子のダメさを愚痴るのが主目的なのだ。

何かを批判するために、別の優れた何かを持ち出すというのは、その手法のイヤらしさはともかくとして、至って普通である。

だが僕が理解できないのは、何かを褒めるとき、半ば無意識的に別の何かを貶してしまう人々だ。

「最近流行りの××なんかと違って、やっぱ○○はいいなあ。このバンドが売れないなんて、邦楽はやっぱクソだわ。○○最高!」

僕も「このバンドはもっと売れていいだろう」と思うことはしばしばだが、それを言う際、わざわざ売れている他のミュージシャンを持ち出す必要はない。そんなファンのコメントを見ると、そのバンドまでダサく思えてしまう。

何かを褒めるときは、たたその凄さを語ることだけに終始すべきである。

 

(蛇足) この手のコメントはYouTubeのコメント欄に異常に多い。そこで、僕は一度調べてみることにした。

「××なんかと違って、○○は最高!」というコメントを見つけると、その××の動画に行き、コメント欄を見る。そこでまた「△△なんかと違って、××最高!」というコメントを見つけると、今度は△△の動画のコメント欄を見る。

これを繰り返し、最終的に行き着いたアーティストが、YouTubeのコメント欄に巣食う音楽通の方々にとっての最下層アーティストである。

そして調査の結果、そういうアーティストは二組に絞られた。AKB48EXILEである。

この二組は、頻繁に比較対象として名前を挙げられている。だが、この二組の動画のコメント欄には、「○○なんかと違ってAKB48(EXILE)は最高だ!」というようなコメントは、見当たらなかった。

さて、調査を終えて僕は思った。他のアーティストを貶さず、自分の好きなメンバーへの愛を語っているだけのAKB48ファンやEXILEファンの方が遥かに健全であり、真のファンと言えるのではないか、と。