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嫌々爺日記

日頃の愚痴か、エンタメ作品の感想か……

プライスレスな言葉の宝石箱・『中原中也詩集』

「詩」というジャンルにそれほど明るい訳ではないが、一番好きな詩人は誰かと問われれば、僕は躊躇なく中原中也と答える。中原中也の詩集は複数の出版社から刊行されているが、オススメは、ハルキ文庫から出ている『中原中也詩集』である。

 

まず、北見隆による装画が良い。

髪の長い女性がスカートの裾を持ち上げながら立ち、無表情のまま虚空を見つめている。足首から下は水に浸かり、彼女の背中からは天使の翼が生えている。

中原中也の詩を読むと喜怒哀楽の型には押し込められない不安定な感情が湧き上がるのだが、北見隆の装画を見て抱く感情は、中也の詩を読んで抱く感情と、深い底の方で繋がっているように思われる。

 

収録されている作品は、自作詩80篇、短歌25首、翻訳詩9篇、中也の書いた評論、日記、書簡である。残念ながら、これらの作品がいかに素晴らしいかを説明するには、僕の語彙力と表現力ではあまりにも力不足だ。何より、詩を読むとは「味わう」ということであり、文字通り、食事に近い。和食の繊細な美味しさを知ってもらうには、いくら多言を費やしても効果は薄い。実際に食べてもらわねば分からないのだ。詩も同様であり、読むことでしか味わえない。だから、ここで中原中也の詩に具体的に言及するのは避けようと思う。

 

また、詩の解説をしないのにはもう一つ理由がある。というのも、文芸評論家・樋口覚による本書解説が素晴らし過ぎるのだ。

読者は中也の詩を感性で味わうが、樋口覚の解説は、中也の詩の凄さを読者に理性的に訴えながら、同時に、読者の感性をも揺さぶる。

優れた評論とはそれ自体が作品たり得るものだが、中也の詩に用いられる言葉の機能性や詩に込められた中也の想いを美しく硬派な文体で綴る樋口氏の解説は、まさしく中原中也の詩と生涯に迫った一つの作品である。

 

そして最後に、町田康が寄稿した僅か5ページのエッセイ。僕はこのエッセイを読んだだけで、「この人の小説は傑作に決まってる」と断定し、町田康の小説を買い漁ったのであるが、それほどにこのエッセイは面白い。

筒井康隆は、町田康の短編小説「くっすん大黒」を鑑舌体や会話の関西的な軽さは、文学的とされる表現からの意図的な遠ざかりであり、下品になるすれすれのところで辛うじて身を翻すところに、作者の美学がある一線でしっかりと守られていることを示しています」と評したが、このエッセイからもその美学の片鱗を窺い知ることができる。

町田康のエッセイは、中原中也という詩人のパワーを感じさせるものである。『ゴッドファーザーPART2』のラストで、観客がマーロン・ブランドの存在を色濃く感じ取るのに近いかもしれない。多分、この比喩は伝わらないと思うが。

 

一流の装幀が施され、一流の詩人の詩が並び、その解説を一流の文芸評論家がし、巻末には一流の小説家のエッセイが載っている。これでたったの680円(税別)。買わない理由が全く無い。

是非購入し、中原中也の詩を味わい尽くしていただきたいです。