嫌々爺日記

日頃の愚痴か、エンタメ作品の感想か……

「主人」という言葉とフェミニスト

2017年3月6日、(僕の好きな)作家の川上未映子氏が、朝日新聞デジタルに「主人」や「嫁」という言葉は賞味期限というコラムを寄稿した。川上氏は以前にも、日経DUALという媒体で「主人」という言葉が心底嫌いというコラムを載せている。

以下、「主人」という言葉が心底嫌いより、一部抜粋である(全文読みたい方は検索を)。

 

わたしは「主人」アレルギー。この言葉を聞くと、いらっとして、本当にぐったりしてしまう。たとえばママ友なんかが、自分の夫をすごく当然のことのように「主人」と言うのを聞くと、あるいは相手の伴侶のことを「ご主人は」なんて言うのを聞くと、もう本当に、これが心の底から気が滅入るのである。

「主人」というのは従属関係を示す言葉で、自分が相手より劣った存在である、身分の低い存在であるということを表す言葉だ。

もちろん言葉というのは生き物で、「そういう主従とか関係ない感じで、たんに、カジュアルに使ってるんじゃないの」というのも理解できる。 

ふだんから無意識に「主人、主人」なんて言ってると、知らないうちに奴隷根性がすりこまれて、ここ一番というときに自立心が発揮できなくなる気がする。 

嫁ってなんだよ、偉そうに。夫のことを指す「主人」も、妻のことを指す「嫁」も、差別用語として広く認識されればいいとわたしは真剣に思っている。

嫁という言葉は個人との関係を示す言葉ではなく、言うまでもなく家を中心にした言葉。

たとえば自分の妻のことを嬉しそうに「嫁」と言った瞬間、わたしのなかでその男性の知性は最低ランク、さらに枠外に落ちて、金輪際、まともに話を聞く気も失せる。

自分の配偶者のことは「夫」でいいじゃないですか。旦那も主人もやめようよ。そして夫は「妻」と呼びましょうよ。あるいは、名字で呼びましょうよ。名前で呼びましょうよ。そして相手の配偶者のことは◯◯さんって、名前で呼ぶことにしましょうよ……。

小さなことだけど、そうやって毎日使う身近な言葉から、子育ての関係性や夫婦間のバランスが変わっていくこと、本当にあるんだもの。

 

続いて、「主人」や「嫁」という言葉は賞味期限より一部抜粋。

 

「配偶者に主人や嫁という言葉を使うのはやめよう」とコラムで書きました。パートナーとは対等な関係であるべきなのに、なぜ主従関係や属性を表す言葉がいまだにこんなに使われているのか、と。

「呼び方なんてたいした問題じゃない」と言う人もいる。でも言葉って本当に大事。

 

まず最初に、言葉を大事だと思うなら、たとえ比喩であれ、「主人」という言葉が心底嫌いであるという気持ちを、「主人」“アレルギー”とは表現して欲しくなかった。 

川上氏が「主人」という言葉を差別用語として認識していようと、言ってしまえばそれは、好き嫌いの問題の範疇である。が、アレルギーは、本人の好き嫌いに関わらず起こるものであり、死の危険すらある。それを「大っ嫌いなもの」程度の比喩として用いてしまったのは、返す返すも残念でならない。

抜粋はしなかったが、川上氏は当該コラムにて「女は女らしく。女はか弱いもの。女は男に従うもの」という時代錯誤でアホな言説を批判している。全くもって同意だ。が、「アレルギーは好き嫌いの同義語」というのもまた、アホな考えであろう。アレルギーは甘えだ、などと抜かす馬鹿は、川上氏の「主人」アレルギーという比喩を見て、またアレルギーを見くびるかもしれない。

「主人」という言葉が男尊女卑を促すと主張するなら、「主人」アレルギーという比喩が、アレルギー軽視を促す危険性も考慮していただきたかった。

 

で、本題なのだが、本来の意味がどうであったかはともかく、イマドキ「主人」なんて言葉が従属関係を示すとは到底思えない。同様に、「嫁」が差別用語とも思えない。

「うちの主人、ホンマ頼りないわあ」

「情け無いわあ、うちの主人

という言葉は至る所で聞くし、

さんにはもう頭が上がらなくて。尻に敷かれっぱなしですよ」

 という言葉も至る所で耳にする。どうだろう? 主人という言葉に、男尊女卑要素、女性差別要素はあるだろうか? 

 

もはや、主人という言葉に威厳はない。学校の先生が「センセー」に成り下がったのと同様、「主人」は今や「シュジン」である。言い易いから使っているに過ぎない。

そして、川上氏自身それは分かっているのだ。何故ならコラムの中盤で、もちろん言葉というのは生き物で、「そういう主従とか関係ない感じで、たんに、カジュアルに使ってるんじゃないの」というのも理解できる。と記しているからだ。ならば、川上氏が個人的に「主人」という言葉を使わなければいいだけの話である。「配偶者に主人や嫁という言葉を使うのはやめよう」などとコラムに書き、押し付ける必要はない。否、押し付けてはいけない。

 

川上氏は、日本ではなぜか否定的にとらえられることがあるけれど、私はフェミニストと述べているのだが、日本でフェミニストが否定的に捉えられるのは、自らの思想を押し付ける人がフェミニストを自称する人に多いからである。