読者です 読者をやめる 読者になる 読者になる

嫌々爺日記

日頃の愚痴か、エンタメ作品の感想か……

ナンシー関は死にました

「もしナンシー関が生きていたら、ズバッと斬ってくれたのになあ」

昨今のテレビ番組を批判したい人が、しばしば使う言葉である。「小林秀雄が生きていたら……」「淀川長治が生きていたら……」などという意見は目にしないが、「ナンシー関が生きていたら……」という表現はやたらと目にする。

僕はこの「ナンシー関が生きていたら……」があまり好きではない。

 

僕が3歳の頃にナンシー関さんは逝去したため、僕はナンシー関という人の凄さをリアルタイムでは知らない。しかし何冊か著作を読み、独特の切り口、悪意とユーモアに満ちた消しゴム版画、舌鋒鋭い文体など、なるほど凄い人だと思わず唸らされた。

だから、「ナンシー関がもし生きていたら、この芸人、このテレビをどう評価しただろうか」という純粋な興味を抱くのは分かる。ただ、ナンシー関という名前を「自分が気に食わないテレビや芸人、タレントを批判する道具」に使うのは、どうも納得できない。

 

テレビが面白くないと思うなら、自分の力で批判すればいいではないか。

SNSの発達により、今や一億総批評家社会である。自分の意見を、我々一般人も簡単に発信できる世の中なのだ。Twitterやブログで「この番組つまらないなあ。ああ、ナンシー関が生きてたら、ズバッと斬ってくれたのに……」と書き込むくらいなら、「この番組は〇〇だからつまらない」と自分の頭で考えた感想を、自分の言葉で述べればいい。大袈裟かもしれないが、自分の言葉で自分の意見を述べることこそ、人間としての尊厳である。

 

もしもナンシー関が生きてたら、もしもナンシー関が生きてたら、などという意見はもう見飽きた。聞き飽きた。 ナンシー関はもう死んでいる。