嫌々爺日記

日頃の愚痴か、エンタメ作品の感想か……

日本は右傾化していない

東京書籍の小1向け道徳の教科書のある記述が、文部科学省の検定意見によって変更を強いられた。変更となった題材は『にちようびのさんぽみち』という話で、主人公の少年があまり通ったことのない道を歩き、自分の住む街の新たな魅力を見つける、という、まあいかにも道徳の教科書っぽい内容である。

で、変更前の記述が次の通りだ(原文は平仮名ばかりで読みにくいため、適宜漢字に直している)。

 

良い匂いがしてくるパン屋さん。

「あっ、けんたさん。」

「あれ、たけおさん。」

パン屋さんは、同じ一年生のお友達の家でした。おいしそうなパンを買って、お土産です。

 

これが、「学習指導要領に示す内容(伝統と文化の尊重、国や郷土を愛する態度を学ぶ)に照らし、扱いが不適切」であり、「我が国や郷土の文化と生活に親しみ、愛着を持つことの意義を考えさせる内容になっていない」ため、次のように変更された。

 

甘い匂いのするお菓子屋さん。

「うわあ、いろんな色や形のお菓子があるね。きれいだな。」

「これは、日本のお菓子で、和菓子というんだよ。秋になると、柿や栗の和菓子をつくっているよ。」

お店のお兄さんが教えてくれました。おいしそうな栗のおまんじゅうを買って、大満足。

 

バーカ! という言葉しか見当たらない。

パンが日本に伝来してきたのは安土桃山時代だが、日本人の舌にはなかなか馴染まず、明治維新後も庶民には広まらなかった。そこで木村安兵衛という人がパン屋を創設し、日本人の好みに合ったパンを作ってパンを普及させようとした。そして6年もの歳月を経て作られたのが、「あんパン」である。

西欧のパンと日本の餡を合わせたこの食べ物は評判になり、明治天皇皇后両陛下にも献上された。両陛下はあんパンを気に入り、あんパンは飛躍的に日本人の間に広まった。そしてそれ以降、日本人の口にあった多種多様なパンが作られては広まり、我々日本人は150年以上もパンを食べ続けてきたのである。2011年には、1世帯当たりのパンの購入金額が米のそれを上回ってすらいる。パンは間違いなく、日本人にとって大切な食べ物である。

にもかかわらず! 「国を愛する態度に反する」という馬鹿で愚かな理由で、和菓子屋に変更されたのだ。腹立たしいことこの上ない。

 

しかも、『にちようびのさんぽみち』の挿絵を見ると、登場人物はみんな洋服を着ているのだ。そんなに「日本固有の文化」が好きなら、和服着させとけよ、馬鹿。

 

全国のパン屋はこの変更に猛抗議し、一部ネット民は「抗議するほどのことではない」だの、「変更する方もする方だが、抗議する方もする方。どっちもどっち」だのとほざいている。馬鹿か。

大体僕は、「どっちもどっち」という言葉が嫌いである。揉めている双方の主張を吟味する労力や知能はないが、何か一言言っておきたい。だから、「どっちもどっち」などと言うのだ。それさえ言えば、あたかも自分が上の立場にいる賢い人間のように見えるからである。うっせえよ、バーカ。

 

日本は遥か昔から他国の様々な文化を輸入し、自国の文化や風土を織り交ぜて洗練し、発展させてきた。他国の文化を大量に受け入れてきたことは何ら恥ずべきことではない。いやむしろ、それらに日本の色をつけて独自に発展させてきたことは誇ってすらいい話である。

起源は外国だとしても、現在日本で食べられているパンは日本の文化なのだ。ラーメンもまた然り。

だが馬鹿な文部科学省は、そんなことを考えはしない。「愛国! 日本の伝統! 日本の文化!」という薄っぺらな思想のもと、「日本の伝統といえば和菓子だ! パンは違う!」という馬鹿で表面的なイメージを掲げ、パン屋を和菓子屋に変更させる。本当に馬鹿である。

 

今回の教科書変更だけでなく、この手の薄っぺらな愛国観に基づく馬鹿な言動を、最近よく目にする。遠藤周作原作、スコセッシ監督の映画『沈黙』を「反日!」と罵ったりね・笑。

 

昨今、「愛国心」やら「日本らしさ」やらを偉そうに押し付けてくる自称愛国者の方が増えているが、その実、彼らの口にすらそれらは単なる記号でしかない。中身ゼロである。

 

日本は右傾化している、とよく言われているが、そんなことはない。日本は右傾化していない。ただただ、知的退化しているのだ。