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嫌々爺日記

日頃の愚痴か、エンタメ作品の感想か……

たまには悲劇のヒロインぶって

突然だが、ってまあブログなんてものはいつも突然始まるものなのだが、ウチの父親は不倫をしている。僕は現在満18歳、ピカピカの大学生一年生である。父の不倫に気付いたのは遡ること五年前、当時13歳、色々厄介なお年頃、中2のときであった。

知るに至った経緯を克明に記すのは陰々滅々たる気持ちになるため省略するが、父の不倫を知ったとき僕は、「ええ……」と思った。ガキ使などで浜ちゃんが理不尽な言動をしたときに松っちゃんが発する、あの「ええ……」だ。うっそーん、てヤツである。

ウチのパパに限ってそんな家族を裏切るようなことする筈ない! と思うほど両親の関係はラブラブではなかったし、そんなことを思うほど父を、というか全ての人を、僕は信頼していなかった。では何故「ええ……」と思ったかといえばそれはもう理由は一つであり、「ウチの父親と不倫する女なんておるんかい!」だ。父はハンサムでも金持ちでもない普通のおっさんである。それなのに、不倫する/出来るのだなあと、どこか他人事めいた感想を抱いたのを覚えている。

元々どこか冷めたところのある僕は、父の不倫にもダメージを受けなかった。……と、最初は思った。だが、これは間違いだった。

笑い声や怒鳴り声など、父の一挙手一投足に苛立ちを覚えるようになったのである。愉快そうにテレビを見て笑う声を聞けば、「不倫してるくせに……」と思い、僕に説教をすれば、その内容がいくら正しくとも、「不倫してるくせに……」と思ってしまう。両親が険悪なムードになれば、「お父さん不倫してんで!」と叫び、家庭を崩壊させたい衝動に駆られる。逆に両親が仲良く喋っている場合でも、同様の衝動に駆られた。

父に料理をダメ出しされた母が料理番組を見てメモを取っている姿を見ると、「そんなんしても、夫さん不倫してまっせ」と母を嗤いながらも、鼻の奥が熱くなるのを堪えられなかった。

だが、だからと言って、子供の頃から至ってまともに愛情を注いでくれた父を、完全に嫌い、軽蔑することは出来なかった。仕事で大変な父の息抜きだと、不倫を肯定してみようともした。しかし、やはり父の言動には依然として腹が立った。父は、テレビで女性タレントが奔放な性の遍歴(四股かけて貢がせてました、てへぺろー、みたいな)を語っているのを見ると、「クズやな」と言っていた。どのツラ下げてどの口が言うのかと、苛ついた。腹部が、鉛を飲み込んだように重たくなった。それでも、父を嫌いにはなれなかった。

この暗澹たる循環生活を、僕は笑顔で過ごさねばならなかった。家庭の平穏を破壊したい衝動に駆られながらも、 その先に待ち受けている悲惨さを考え、僕は何も知らないような顔をして、家の中で笑っていた。馬鹿みたいに。ピエロみたいに。腹の底ではドロドロとヘドロが溜まり、腐臭を放ち続けていた。僕はその臭いを決して外に漏らさぬよう、必死で口を閉じ続けた。つい漏れてしまったときには、屁だと言って誤魔化した。「俺がイライラしてるのは思春期のただの反抗期です」というフリをしたのだ。

このことは、生涯誰にも言えない。腹の底に溜まり続けたヘドロは、この先一体どうなるのだろうか。僕が家で見せている笑顔のうち、一体何割が本心からの笑いなのだろうか。自分でも分からない。家に限らず、日常の全てにおいて、偽りの笑顔と心からの笑顔の区別が付かなくなっている。
死にたい、と積極的には思わないが、生きたいとも積極的には思わない。君のためなら死ねる、という恋愛モノの定番セリフも、僕には意味をなさない。別に見知らぬ子猫のためにでも死んで構わないからだ。死を選ぶのに大それた理由はいらない。空が澄んでいるから、晩飯の唐揚げが旨かったから、夕日が綺麗だったから。それだけで、充分死ぬ理由になる。父の不倫だけではない。何もかもがもう嫌なのだ。ありとあらゆるものが嫌で嫌でたまらないのだ。生きていても全然楽しくない、とは思わないが、かといってそれほど楽しいとも思わない。

そんな僕でも時折、「生きていてよかった」と思う瞬間がある。その一瞬だけで、それまで100回「生きたくないなあ」と思った事実が打ち消される。「生きていてよかった」と思える瞬間が次に訪れるのはいつだろうかと考えながら、僕は生きたくもない毎日を生きている。……なんつって、こんな風にウジウジ考えていたのは今は昔、竹取の翁といふものが野山にまじりて竹を取りつつ万のことにつかっていた時代の話であり、現在ではもうケ・セラ・セラのケ・セラ・セラ、なんくるないさーったらなんくるないさーの精神で、毎日よろしくやっている。というのも、この境地に至ったのには訳があり、それというのも、生きたくない願望がピークに達したある日、「こんな満月見てると、なんか死にたなるよね」と冗談めかして言った僕に対して、交際していた彼女が「やだよ。死なないでよ? 寂しいよ」と真面目に返してきたからなのである。

彼女いるくせに生きたくないってお前クズだな、という批判は一旦置いておいて、僕はその彼女の言葉に、猛烈に感動したのである。僕が死んだところで世界は何にも変わらず回り続けると思っていたし、まあ現にそうだろうが、悲しむ人はいるのだという当たり前の話を、僕はそのときになって初めて気が付いたのだ。

それ以来僕は、「君のためなら死ねる」ではなく、「君のためなら生きていける」と思いながら生きている。……なんつって、ここまで書き終えて僕は、「悲劇のヒロインぶる筈が彼女への甘ったるいラブレターになってもうた。いやそもそも、ヒロインて……。俺男やん。でも、悲劇のヒーローっつうのは何かちゃうしなあ。てか、どうやってこのブログ終わらせたらええんやろ」などと頭を掻きながら悩む羽目になってしまった。だが残念ながらこれといって何も思いつかず、まあこうなれば最終手段だ、ボツにしよう、どうせ誰も読みゃしねえんだよこんなブログ。つって、本稿を削除しようとしたついでに僕はふと窓の外を見た。そんな僕の目に飛び込んできたのは、満月。煌々と照って、ぽつねんと。