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嫌々爺日記

日頃の愚痴か、エンタメ作品の感想か……

外部に持ち出された内輪ノリ

読書メーターというアプリを3月の終わりに始めた。本ブログ同様、「嫌々爺」という名前で登録している。ネットなんてGoogle検索か2ちゃんねる閲覧かYou Tubeくらいしか使わなかった僕としては、ブログを始めたというのも我ながらよくやった感があり、それを皮切りに他のネットツールも使ってみようと思い立った次第だ。

他人の意見を読むというのはいいものだと今更ながらに気付き、You Tubeのコメント欄を今まで以上に読んだり、登録こそしていないがTwitterを見始めたりもした。

 

そこで、腐女子批判を展開している人を見つけた。曰く、「BL趣味そのものは否定しない。だが、腐女子の多くは、自分達のそのノリをどこでも持ち出してくる。BL要素の本来ないアニメや漫画のファンが集まる場で、〇〇と××のカップリングが云々という話をするのは、はっきり言って目障りだ。インターネットとはいえ公共の場というものがあり、マナーというものがある。BLを好ましく思わない人間も中にはいるのだ。腐女子のノリは、腐女子が集まる場だけにしてくれ」というものだった。実際はもっと長文だったハズだが。

なんとも倫理的かつ論理的な腐女子批判だ。ただひとつ、その批判をしている人間のアイコンが「野獣先輩」であるという点を除いては。

 

『真夏の夜の淫夢』というゲイAVがかつてあった。この作品はAVにはしばしばあるチープなドラマ仕立てらしく、ある時期からインターネットでよくネタにされている。そしてその出演者のうちの一人が、「野獣先輩」という渾名で呼ばれているのだ。

 

『真夏の夜の淫夢』や「野獣先輩」を面白がってネタにする人のことを、淫夢厨と呼ぶらしい。彼らは、当該AVで出てきた言動を「淫夢語録」と名付け、ネットのありとあらやる場所で使っている。ゲイAVなど何の関係もない場所で、だ。

 

正直、ネットのあらゆる場に出没する淫夢厨は、かなりすべっている。薄ら寒い身内ノリである。バラエティはつまらないと言いつつ淫夢語録を嬉々として使う彼らは、クラスのムードメーカーを見下しながら教室の隅で盛り上がる二、三人の陰気な生徒達みたいである。

とはいえ、内輪ノリなんてものは無関係の人間から見たらクソつまらない、というのは至極当然の話であり、淫夢ネタが薄ら寒いことは何ら問題ではない。問題は、そのネタをネットのあちこちですることだ。

先の腐女子批判になぞらえて言うならば、「淫夢ネタそのものは否定しない。だが、淫夢厨の多くは、自分達のそのノリをどこでも持ち出してくる。ゲイAV要素のない場で淫夢語録を使うというのは、はっきり言って目障りだ。インターネットとはいえ公共の場というものがあり、マナーというものがある。淫夢ネタを好ましく思わない人間も中にはいるのだ。淫夢語録は、淫夢厨が集まる場だけにしてくれ」ということである。

 

(『真夏の夜の淫夢』がホモフォビアか否かは、ここでは論じない。淫夢厨の中には「俺たちはホモをバカにしているんじゃなく、チープな脚本や演技をバカにしてるだけだ」と主張している人もおり、その言葉の真偽を検証するため実際に当該AVを観るほどの根気は僕にはないからである)

 

さて、「アニメや漫画のコミュニティでBL趣味を持ち出してくる腐女子のマナー違反を痛烈に批判する人のアイコンが、野獣先輩」というこの現象。僕にはギャグとしか思えないが、この人の腐女子批判には多くの賛同が寄せられていた。「お前もアイコン野獣先輩じゃん」と批判する者は当然おらず、むしろそのアイコンすら面白がり、淫夢語録を交えてツッコミを入れる人が多かった。

淫夢厨の基準では、腐女子が公然とBLのカップリングを話すのはクソだが、淫夢厨が淫夢語録を公然と話すのはOKのようだ。

 

……正直、なぜこの話をブログに書こうと思ったのか自分でもよく分からない。記事の着地点もうまく見当たらない。だが、鬼の首を取ったように腐女子を批判する人々が野獣先輩アイコンには苦言すら呈さない、という現象が、僕には異様で不気味に感じられたため思わず書きたくなったのだ。

大袈裟かもしれないが、虐殺ってこんな感じで起こるんじゃないか、とさえ思った。

腐女子批判を展開する人のアイコンが野獣先輩だと気付いたときにふっと自分の顔に浮かんだ苦い微笑を、僕は生涯忘れられない気がする。