嫌々爺日記

日頃の愚痴か、エンタメ作品の感想か……

哀しき戦争の落とし子たち・『ゴジラ(1954)』

僕は比較的ジャンルを問わずに映画を観るタイプなのだが、こと特撮映画/怪獣映画に関しては、殆ど観たことがなかった。何故かは分からない。何となく、特撮映画や怪獣映画を経ずに成長してしまったのだ。子供の通過儀礼である筈のウルトラマンにも、それほど熱中した覚えはない。僕は『ウルトラマン コスモス』世代なのだが、ホントに一切、観た覚えがないのである(伊集院光の深夜ラジオで、『油性ペンで辻希美の右内腿にウルトラと描き、左内腿にスモスと書けば……』という下劣極まりないネタが読まれ、ゲラゲラと腹を抱えて笑った記憶ならばあるのだが……)。

 

そんな僕も、『キングコング:髑髏島の巨神』を観て「デッカいゴリラが暴れる」というシンプルな素晴らしさに気付き、ようやく特撮映画や怪獣映画に興味を持ち始めた。

そこで手始めに観たのが、ゴジラである。1954年公開の作品、すなわちゴジラシリーズの記念すべき1作目である。この作品が戦後僅か10年しか経っていない状況で作られたという事実には、驚きを禁じ得ない。

では、これより『ゴジラ』のネタバレ感想を記しますが、結構長い上にメリハリもない、本当にただの感想ですので、おヒマでない方はどうぞブラウザをお閉じください。

 

さて、まずはオープニング。黒い背景に白い文字で、キャストやスタッフの名前がクレジットされていく。背後では、デデデンッ、デデデンッ、デデデデデデデデデンッ!というお馴染みの厳然たる音楽が流れ、一気に観客の興奮を駆り立てる。あのメロディは、『ゴジラ』を観たことがない人間の血も滾らせるほど強力だ。まるで日本人のDNAに予め刻み込まれていたかの如く、ゴジラのメロディは我々の魂に呼応する(……なんて書くと何だか血統主義者じみていてイヤですが、まあ比喩ですのでご勘弁を)。

いかにして映画の世界へ観客を引き込むか、という課題を音楽一つで解決出来てしまうのだ。音楽そのものが持つ力もさることながら、日本人がゴジラというコンテンツから知らず識らずのうちに受けてきた影響力の強さを思い知らされる。実際に見たことがなくともその存在を周知しているというのは、ゴジラの他にはドラえもんサザエさんくらいのものだろう。

では、以下ストーリー。

 

ある日、太平洋沖で貨物船が原因不明の沈没事故を起こし、間も無く救助に向かった船も沈没する。沈没場所近くの大戸島に流れ着いた生存者は、「何者かに船を沈められた」と証言する。

取材に当たった新聞記者は、島の老人から「呉爾羅(ゴジラ)」という怪物の伝説を聞く。海に住む呉爾羅は時折魚を食い尽くすと、陸に上がって人間を喰らう。だから昔は、生贄に若い娘を捧げていたのだという。

そして暴風雨の夜、大戸島に巨大な何かが上陸し、家屋を破壊し、住民や家畜を殺傷した。島に停めてあったヘリコプターは、上から押し潰されたような状態になっていた。この異常事態に対し、政府は調査団ー古生物学者の山根博士、娘の恵美子、恵美子の恋人・尾形らーを島へと派遣する。

 

山根博士を演じるのは、我らが志村喬。改めて言及するまでもないその見事な風格によって、作品内にリアリティとシリアスさを与えている。

 

さて、島へと向かう調査団の船を見送る人々の中には、志村喬の弟子にして恵美子の元婚約者、芹沢博士の姿もあった。芹沢博士は戦争によって右目を負傷し、恵美子から身を引いたのである。その美貌と右目に付けた眼帯のせいで、芹沢博士は異彩を放っている。そんな芹沢博士の見送りに、恵美子も気が付いていた。

 

芹沢博士を演じるのは平田昭彦岡本喜八映画によく出てくる人だ。ごっさハンサムである。この芹沢博士を、『ドリフターズ』の織田信長、『ブラックジャック』のドクター・キリコと共に三大カッコいい眼帯キャラに認定しよう。

しかしこの芹沢博士の雰囲気は、眼帯であることを差し引いても何処か狂気を感じさせる。初見時、僕は彼のことを「あ、マッドサイエンティストやな」と思った。「もしかしてコイツがゴジラを操っているんじゃ!?」 と疑ったほどである。

 

島に到着し、早速調査に取り掛かった調査団。彼らはそこで、何メートルもある何かの足跡、何かの通過した場所から検出される高濃度の放射能、絶滅したはずの三葉虫など、数々の驚きの発見をする。……と思ったのも束の間、調査団はさらなる驚愕に遭遇する。山の尾根から頭を出す50m級の巨大生物が、眼前に現れたのである。

逃げ惑う島民をよそに、意外とあっさり巨大生物は海へと消えていった。だが、砂浜に残されたその足跡(と尻尾跡)の迫力は、息を呑むほどである。

 

ようやくハッキリと姿を見せたゴジラの特撮は、確かに今のCG技術と比較すればチャチいかもしれない。だがそれは、あくまでもCGと比較すれば、の話である。演出や演技のおかげで、ゴジラは本編中ずっと、中々の迫力を伴っている(画面が白黒だという点も、一役買っているだろう)。

そして何より、映画というのは技術ではなく魂である。「いかに凄いCGを魅せるか」にのみ力を注いだハリウッド大作が屍になって朽ちていく例を、我々は嫌というほど知っている。その点ゴジラ』は、当時の最高水準である特撮技術を巧みな演出と演技で補強している上に、熱い魂がある。故に、今尚面白いのである。

 

東京に戻った志村喬は、件の巨大生物を島の呉爾羅伝説に因んでゴジラと名付け、「海底の洞窟に住んでいた古代生物が、水爆実験によって住処を追われ、姿を現したのではないか」という見解を国会で発表した。

 

島に現れたゴジラをキチンと写真に収めていたお陰で、「ゴジラだと? ふん、くだらん! そんな話があるもんか」「本当です、信じてください」みたいな、SF映画によくある鬱陶しいやり取りもなく、スムースに物語は進んでいく。

 

ゴジラによる船の沈没事件は相続き、政府はゴジラの討伐を開始する。海にドッカンドッカン爆雷が投下されるニュースを観た志村喬は、「貴重な研究材料を……!」と憤る。

恵美子との結婚の許しを貰いに来た尾形は、「実害が出てるから討伐もやむなしでは……?」なんてことを言って志村喬をピリつかせてしまい、結婚の話は出せずに終わってしまう。

 

本筋とは関係ないし今更言うことでもないのだが、ゴジラ』に登場する男達は皆、めちゃくちゃハイウエストである。ネクタイも子供の七五三のような短さである。多分、この時代には普通のファッションだったのだろうが、そこだけどうも気になった。というか、チョット笑ってしまった。

 

爆雷に次ぐ爆雷攻撃も、ゴジラには通用しなかった。政府は志村喬を呼び出してゴジラを殺す方法を尋ねるが、志村喬「水爆の洗礼を浴びてすら生き延びたゴジラを殺すことはできない。それよりもあの生命力を研究すべきだ」と告げる。

そこで政府は、恵美子に元婚約者の芹沢博士を紹介するように頼む。戦後もひとりで何かの研究を続けている芹沢博士には、ゴジラを殺す秘策があるのではないかという噂があったのだ。

恵美子は政府の者を芹沢に紹介するが、芹沢は「知らない」の一点張りで追い返してしまう。政府関係者が去り恵美子と二人きりになった芹沢博士は、「ホントのところ今なんの研究をしてらっしゃるの?」と訊かれ、「恵美子さん、見せたげようか? その代わり、絶対に秘密ですよ。僕の命がけの研究なんだ。念を押すが、誓ってくれるね?」と答える。そして地下室へと連れて行き、恵美子にとある研究を見せるのであった……。

 

このときの芹沢博士の「恵美子さん、見せたげようか? その代わり、絶対に秘密ですよ。僕の命がけの研究なんだ。念を押すが、誓ってくれるね?」という台詞とその表情が、なんとも危ういオーラを放っている。不気味ではないが、普通ではない。

しかし、芹沢博士の恵美子に対する態度の切なさたるや……。恵美子はそもそも、芹沢博士に対しては兄への慕情に似た気持ちしか抱いていなかった。だが芹沢博士は、未だに恵美子を女性として愛している。しかし恵美子の現恋人である尾形(芹沢博士の後輩でもある)に嫉妬の炎を燃やしたりせず、恵美子に纏わり付いたりもせず、スーッと身を引き、恵美子と尾形に対して適度な距離を保ち続ける。

そんな中で「芹沢さんはどんな研究してらっしゃるの? お父様も気にしてらしたわ」なんて言われたら、嬉しくなっちゃうよね。研究の成果、見せちゃうよね。分かります、分かりますよっ芹沢博士! なんつって、もうゴジラの生き死によりも芹沢博士の悲恋っぷりに惹かれ始めてしまう僕でありました。

 

そんな僕の気持ちを見透かしたゴジラは「忘れるなっ!」と叫びながら東京湾に現れる。自衛隊の銃撃など当然効くはずもなく、ゴジラは上陸する。破壊の限りを尽くしたゴジラは、再び海へと去っていく。

東京湾にひそむゴジラ対策のため、政府は「東京湾沿岸に5万ボルトの高圧送電線を張り巡らせる。

しばらくして、ゴジラはまた現れた。ゴジラは送電線に接触しビリビリっとしたものの、口から放射能熱戦を吐き出し、送電線を飴のように溶かしてしまう。戦車の砲撃をものともせず、ゴジラは突き進み、東京の名物建築物をバコスコと破壊し、国会議事堂を叩き潰し、テレビ塔を破壊していく。

 

テレビ塔から実況を続ける報道陣に接近するゴジラ死の直前まで実況を続け、「さようならーっ!」と叫んでゴジラに殺されていく報道陣の姿は、何とも美しい。プロフェッショナルである。「実況してるお前は英雄面して死ねるやろうけどさ、オレ達カメラマンの死は印象薄いやん?」などと僕なら絶対言うが、そんなことは誰も言わない。プロフェッショナル集団である。

 

ゴジラはグングン東京湾に進む。ジェット機のロケット弾攻撃もなんのその、ゴジラはまたもや海の中へと去っていった。

廃墟と化した東京。老若男女問わず犠牲になった甚大な被害に加え、放射能汚染も起きていた。被災者の救護に当たっていた恵美子はその惨劇を目の当たりにし、遂に芹沢博士に見せられた実験を尾形に明かす。

芹沢博士はあの日、地下室の水槽にある装置を入れた。その装置は一瞬でブクブクと泡を立てたかと思うと、水槽内の魚は全匹死滅し、やがて骨だけになった。

水中の酸素を奪い生物を死滅させ、液状化する恐怖の化学兵器「オキシジェン・デストロイヤー」。これこそが、芹沢博士の研究だったのだ。

芹沢博士はこの兵器が各国の手に渡り軍事利用されることを恐れ、秘密にしているのである。

 

いやはや、何というチート兵器! というか芹沢博士、元婚約者に何ちゅうもん見せてんねん。

 

尾形と恵美子は芹沢博士のもとに向かい、ゴジラを殺すためにオキシジェン・デストロイヤーを使わせてほしいと頼み込むが、芹沢博士は頑として首を縦に振らない。

しかし二人の必死の説得や、テレビから聞こえてきた女学生による合唱「平和への祈り」に心を動かされ、「一回かぎり」を条件に使用を認めるとともに、資料を全て破棄する(いずれ人類の役に立つ利用方法が見つかるかも、ということで、芹沢博士は研究を続けてきたのだ)。

東京湾に潜むゴジラを探知船で確認した芹沢博士は海底へと潜る。やがて、ゴジラが目の前にやってくる。途轍もない迫力。何か言いたげにゴジラを見つめつつ、芹沢博士はオキシジェン・デストロイヤーを作動させた。海水が激しく泡立ち、ゴジラが断末魔の叫びをあげる。

泡立つ海面を見た尾形らは、浮上してこない芹沢博士を不審に思い、慌てて命綱を引き上げる。だが命綱は、芹沢博士によって切断されていた。ゴジラ討伐のためとはいえ恐怖の兵器を使ってしまった芹沢博士は、今後も自分はまた使ってしまうだろうと確信していた。各国からの甘い誘いや研究者としての成功を断ち切れるほど自分は強くないと、芹沢博士は知っていたのだ。それゆえ、兵器に関する記憶とともに自らも海に消えようと考えたのである。

そしてゴジラは最後の咆哮を捧げ、死に絶えた。無論、芹沢博士もまた死んでしまったのである。

船上では人々が歓喜に湧く中、尾形と恵美子は悲しみに暮れていた。

志村喬が訥々と呟く。「あのゴジラが最後の一匹とは思えない。もし水爆実験が続けて行われるとしたら、あのゴジラの同類がまた世界のどこかへ現れてくるかもしれない……」

船上の人々は、海に、海に住んでいた生き物たちに、そして芹沢博士に、黙祷を捧げるのであった。

 

 芹沢博士ェェェッ‼️‼️と思わず叫びたくなる。マッドサイエンティストだと思ってごめんなさい。コイツがゴジラを操ってんじゃ? などと疑ってごめんなさい。

芹沢博士、素晴らしい。感涙、落涙、滂沱の涙である。確かに本作は、反戦映画、反核映画として名高いのだろう。最後の志村喬の台詞は、『七人の侍』のラストに匹敵する重みだし、冒頭で述べた通り、戦後10年でこの作品を作り上げたのは本当に感服に値する。だがしかし。やっぱり何と言っても、魅力は芹沢博士である。もはや、映画のタイトルは『セリザワ』にすべきだと言っても過言ではない……というのは流石に過言だが、ゴジラ』が芹沢博士の魅力なしでは成立し得ない作品であることは間違いない。

ケンタッキーフライドチキンの主役は、鶏肉ではなく衣である。あの旨すぎる衣を最も引き立たせる肉が、たまたま鶏だったのだ。『ゴジラ』も同様、一番の主役はゴジラではなく芹沢博士である(もちろんゴジラを脇役とまでは言わない。ゴジラは、芹沢博士に次ぐ主役である)。

「水爆の落とし子」とよく称されるゴジラだが、芹沢博士もまた、戦争が生んだ悲劇の落とし子なのだ。戦争のせいで右目を失い、残された左目で見た景色はどれほど切なかっただろうか。

愛する人が自分の後輩(しかも好青年)と愛を育むのを、優しく見守るしかない芹沢博士。それを振り払うかのように研究に没頭した芹沢博士。そして恐ろしい兵器を生み出してしまった芹沢博士。つい恵美子に研究内容を明かしてしまった芹沢博士。しかもちゃっかりそれをバラされてしまった芹沢博士。最後は、人類の希望のために、己の人としての尊厳のために、ゴジラとともに海へと消えていった芹沢博士。

芹沢博士、何と気高い人であろうか。

海中でゴジラと対峙した芹沢博士の左目は、「お互い、生きてちゃいけない存在なんだよ」とでも言いたげであり、とても悲しい。だが同時に、その芹沢博士の姿はとても優しく、美しい。あれこそが、人間の美しさなのである。